Tunisia, Tunis, Sidi Bou Said, Le café des Nattes 5K,チュニジア シディ・ブ・サイド,カフェ・デ・ナット,5K

Tunisia, Tunis, Sidi Bou Said, Le café des Nattes 5K(チュニジア シディ・ブ・サイド カフェ・デ・ナット 5K)

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首都チュニスから郊外鉄道TGMで20分ほど、チュニジアで一番有名な観光地シティ・ブ・サイドにある、世界的に有名なカフェ「カフェ・デ・ナット」。
チュニジアンブルーの空の下、白い壁と青い扉の統一感ある家々が連なる街のメインストリート「ハビブ・タムール通り」の先に、高台から地中海・チュニス湾/カルタゴを一望できる最高のロケーション。

朝一番に行ったので珍しいまだ人がいない瞬間が撮れました。

シディ・ブ・サイドは『白と青の小さな楽園』(petit paradis blanc et bleu)とも呼ばれているが、来てみたらまさにその通りであった。

この環境に惹かれ、多くの芸術家達がこのカフェに籠もったとのこと。

—Wikipedia 項目シディ・ブ・サイド
17世紀以降、この村の魅力にチュニジアのブルジョワ階級が惹きつけられ、彼らは贅を凝らした家を建てた。1893年に郡区となった時、村にはシディ・ブ・サイドの名が与えられた。1915年8月28日、村の景観保護の政令が導入され、1909年からシディ・ブ・サイドに邸宅をかまえていたロドルフ・デルランジェ(fr:Rodolphe d’Erlanger)男爵の愛する青と白が強制され、岬の上へ無秩序な建物建設を禁じられた。こういった措置は世界で初めてシディ・ブ・サイドで指定された。デルランジェはアラブ・アンダルシア音楽の一種であるマアルーフ(fr:Malouf tunisien)の復興を助けた人物である。彼の暮らした邸宅エンナイマ・エッザフラ(Ennajma Ezzahra)は、現在、アラブ地中海音楽センターとなっている。20世紀、シディ・ブ・サイドは多くの芸術家、音楽家、作家を魅了した。これらの中にはフランソワ=ルネ・シャトーブリアン、ギュスターヴ・フローベール、アルフォンス・ド・ラマルティーヌ、アンドレ・ジイド、コレット、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、パウル・クレーらがいた。ミシェル・フーコーはここで『知の考古学』(L’Archéologie du Savoir)を書いた。
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#本写真は5200×3467と5Kの中でも大きい方(EOS 5D mark IIIのギリギリ)なので、iMac Retina 5Kなど、5K解像度の各デバイスに適当にあわせてご使用ください。デバイス毎の画面の傾向や趣味によっては、青を濃くしたり、シャープを少しかけても良いかと思われます。